2018年12月

私がそのメッセージに気がついたのは、記されていた日時より1日ほど経っていた時だった。

新しく始めたビジネス用Facebookのアカウントだったために実際に知らない人が友達として登録されている場合も多く、その分毎日届くスパムが非常に多かった。

その中から、しっかりと意味のあるメッセージを送ってくれている人を見極めることはかなりなストレスだったので、あまり普段はチェックしないことも多かったのだけれど、なぜか、そのメールは「読んでください」と主張していたように感じる。

その時点からすでに不思議だ。

クリックすると

「貴女は〇〇小学校から〇〇中学校そして〇〇高校へ行った〇〇さんではありませんか?」

と書いてあった。

あれ?
どうして私の経歴を知っているのだろう?

一瞬そう思ったのだけれど、差出人のところにローマ字で書かれていた名前を見て驚いた。

磯野直丈。

うわっー。
本当に?

子どもの頃、「好きです」と異性から言われ自分が「女」であるということを衝撃的にも感じさせてくれた最初の男子の名前だった。

彼はずっとその後も私にとっては特別な人として脳裏に刻み込まれていた。

そしてその後、結婚してからもアメリカへ渡ってからも私が実家に帰ってくると必ず思い出す人となっていた。

実はちょうどその前の年の夏に帰国した時に、小学校と高校が同じだった同級生がいつものように幹事となって同窓会を計画してくれていた時に

「今年は小学校の時の友達も呼ぶ?」

と聞いてくれたことがあった。

その時に私は何十年ぶりに磯野直丈の名前を実際に口にした。

「でもね、なんだか気まずい感じで卒業してしまったので、やっぱりもういいかな。会わなくても」

と私は友人に言っていた。

メッセージの差出人の名前をクリックして彼のFBのタイムラインを覗いてみたが、イマイチ出ていた顔写真と昔の彼は結びつかなかった。

この人は本当にあの時の彼なのかしら?

考えてみたらあれから40年もの月日が経ったのだ。

14歳の時に告られた時の気恥ずかしい気持ちやその後の気まずさは意外にも消え去っていて、全てが過ぎ去った懐かしい美しい思い出として蘇ってきた。

あれから、どんな人生を送っていたんだろう?

急に興味が湧いてきた。

深く考えずに、手が動くままに返信をしていた。

「はい、そうです。そういう貴方はご近所だった磯野君ですか?w」

すると、このような返事が彼から来た。

「はい、そうです。 ご近所だった同級生の磯野ですw やっぱりあの〇〇さんなんですね!懐かしいな〜。笑顔に面影があるのでそうじゃないかと思いました! 〇〇さんがアメリカでこんなにご活躍なさっているなんて凄い驚きです!素敵な人生をお過ごしなんですね。羨ましい限りです! そちらにはもうどのくらいお住まいなんですか?日本に戻られる事はあるんですか?」

ここから、私たちのテキストのやりとりが始まったわけだ。

男性はあまり長いメールを書いてくる人はいないと思っていたが、私たちのやりとりは、同じように長くて同じように速攻で返事が戻ってくる感じだった。

こういうのも珍しい。

そして、やりとりが途切れることなくひたすら続いたのだから、お互いに何か惹かれるものが最初からあったように思う。

少なくとも私は、あれほど気まずくて彼の実家の近くを歩くたびにどこか暗い気持ちになってしまっていたような感じだったのに、大人になった私たちのテキストのやり取りは最初の段階から、とっても楽しいものだった。

どうしてだろう?

私の心はとても弾んでいたのだ。

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